2020年07月26日
備忘録
こんにちは。
今回は自分の気持ちを残しておきたい、整理したいとおもって書いている記事になります。
キャンプのことでもなければ、読んでくれた方を楽しい気持ちにさせるものでもないので、閲覧注意です。

※画像も本文には関係ありません。
6月29日
我が家にとって、ずっと待ち望んでいた子供があーさんのお腹に宿っていることがわかりました。
以前から不妊治療をしていましたが、中々良い結果が出なく、あーさんにばかり負担がかかってしまい、沢山ストレスを感じさせていたこともあり、夫婦で相談し、不妊治療を辞めていた中での突然の出来事だったので、
喜ぶというよりも驚きが大きくて、2人とも変な反応でした(笑)
その後、7月4日に病院で検査し、エコーで診てもらい心拍なども確認できたので、無事妊娠していることが分かり、とても嬉しかったです。
ただ、コロナの影響で私は院内へ入ることができずに、心拍が動いている様子などを見ることができなく、その点は残念には思いました。
それでも、
そこからの日々は、今まで感じたことがない不思議な気持ちで、浮かれていて
あーさんがつわりで体調が悪かったので、家事などを率先してこなしていましたが、全然大変だとかは思わなくて、とても充実して過ごしておりました。
そう、不妊治療を経て、子供を授かることの大変さを体験していたので、
この時は妊娠=ゴール
妊娠すれば、子供が無事産まれてきてくれる
ということを信じて疑ってなかったんです。
そうして7月14日、2回目の検診日
平日ということもあり、私は通常通り仕事へ。
あーさん1人で検診に行きました。
そして、11時40分あーさんから
「赤ちゃん育ってなかった。」、「ごめんね」
というLINEが入りました。
一瞬、意味がわかりませんでした。
すぐ、あーさんに電話してみると、
普段は非常に強くて、滅多なことでは泣かないあーさんが大号泣していました。
そこでやっと、これは現実のことなんだなと理解できた気がします。
その後は、子供のこともそうですが、あーさんの精神状態がとても心配だったので、
すぐに上司に説明をして半休をもらい自宅へ帰りました。
自宅へ帰り、あーさんから話を聞くと、
前回は確認できた赤ちゃんの心拍が確認できないとの診断だったようです。
そして、2日後の16日に稽留流産手術をするという残酷な内容でした。
あーさんから話を聞いた後、すぐに稽留流産について、心拍が確認できないということについて、調べることができる限り、調べ尽くしました。
調べてみてわかったことは、
一般的に一度見えた心拍は、週数が増えるとともに見えやすくなるようで、それが見えなくなってしまったということは、ほとんどの確率で診断結果には間違いないということ。
そしてその理由は、染色体の異常により発生するもので、
外的要因でもなく、夫婦の問題でもない、自然淘汰のようなもの、、、ということがわかりました。
また、あーさんもお医者さんからは、妊娠初期によくあることだから。
と説明されたようです。
正直、調べれば調べるほど、全然納得がいきませんでした。
誰のせいでもない、しょうがないこと。
そんな風に書いてあるけど、なら仕方がないね。
とは絶対になれませんでした。
なので、その後もずっと調べていると
中には、エコー検査では見る角度などによって、心拍が見え辛く、もう一度検査したら心拍が見えた。
という内容もあったので、
2日後の手術の前に、もう一度エコー検査をしてもらうように病院へ電話をしました。
手術までの2日間、2人ともふとした瞬間に、悲しみが押し寄せてきて、泣いてばかりだったような気がします。
そして7月16日、手術当日
会社にお休みをもらい、あーさんと病院へ。
この時も私は院内へ入ることは叶いませんでしたので、駐車場であーさんを見送り、一度自宅へ戻り家事をした後に、病院近くの喫茶店で待機。
手術の前に見てもらうエコー検査での奇跡を願っていましたが、
あーさんからLINEがはいり、お医者さんからもう一度エコーで見ましたが、間違いないでしょう。
という結果。
あーさんには二回もつらいエコー結果を見させてしまったことを謝るとともに、手術頑張ってと返信しました。
返信した後は、喫茶店で泣かないように必死でした(苦笑)
周りから見たらやばいやつですからね(笑)
そしてお昼過ぎ、手術が終わったあーさんを迎えにいき、帰宅しました。
その後の日々は、あーさんの体調の回復を最優先にして過ごし、
7月21日

注文していた仏花が届いたので
自宅に心拍が確認できた頃のエコー写真と、届いた仏花で、手元供養とさせてもらいました。
これでいつでも身近に感じることができますね♪
今回冒頭でも書いたように、自分の気持ちを残しておく、整理するということで書きましたが、
ブログに残すことで、我が家の第一子は少しの間でもちゃんとこの世界に居たんだよ。
ということを私たち夫婦の記憶だけではなく、事実として残したかったのかもしれません。
今はまだ2人とも完全に乗り越えた、という状態ではないけれど、
時間が少し経過して少しずつ前向きになれていますし、
テントぶっ壊れようが常に笑っている夫婦ですので、心配はしないでください(笑)
そしてこれからのこともまだわかりませんが、
また子供ができたとしても、できなくて夫婦だけで今後も過ごすとしても、
どちらでもあーさんとなら、とても幸せな人生を送ることができるのは間違いないので、
また2人で相談して決めようと思います^ ^
その証拠にほら!

こーんなものを注文しちゃったり!

こーんなものが届いちゃっているんですから(笑)
今回は自分の気持ちを残しておきたい、整理したいとおもって書いている記事になります。
キャンプのことでもなければ、読んでくれた方を楽しい気持ちにさせるものでもないので、閲覧注意です。

※画像も本文には関係ありません。
6月29日
我が家にとって、ずっと待ち望んでいた子供があーさんのお腹に宿っていることがわかりました。
以前から不妊治療をしていましたが、中々良い結果が出なく、あーさんにばかり負担がかかってしまい、沢山ストレスを感じさせていたこともあり、夫婦で相談し、不妊治療を辞めていた中での突然の出来事だったので、
喜ぶというよりも驚きが大きくて、2人とも変な反応でした(笑)
その後、7月4日に病院で検査し、エコーで診てもらい心拍なども確認できたので、無事妊娠していることが分かり、とても嬉しかったです。
ただ、コロナの影響で私は院内へ入ることができずに、心拍が動いている様子などを見ることができなく、その点は残念には思いました。
それでも、
そこからの日々は、今まで感じたことがない不思議な気持ちで、浮かれていて
あーさんがつわりで体調が悪かったので、家事などを率先してこなしていましたが、全然大変だとかは思わなくて、とても充実して過ごしておりました。
そう、不妊治療を経て、子供を授かることの大変さを体験していたので、
この時は妊娠=ゴール
妊娠すれば、子供が無事産まれてきてくれる
ということを信じて疑ってなかったんです。
そうして7月14日、2回目の検診日
平日ということもあり、私は通常通り仕事へ。
あーさん1人で検診に行きました。
そして、11時40分あーさんから
「赤ちゃん育ってなかった。」、「ごめんね」
というLINEが入りました。
一瞬、意味がわかりませんでした。
すぐ、あーさんに電話してみると、
普段は非常に強くて、滅多なことでは泣かないあーさんが大号泣していました。
そこでやっと、これは現実のことなんだなと理解できた気がします。
その後は、子供のこともそうですが、あーさんの精神状態がとても心配だったので、
すぐに上司に説明をして半休をもらい自宅へ帰りました。
自宅へ帰り、あーさんから話を聞くと、
前回は確認できた赤ちゃんの心拍が確認できないとの診断だったようです。
そして、2日後の16日に稽留流産手術をするという残酷な内容でした。
あーさんから話を聞いた後、すぐに稽留流産について、心拍が確認できないということについて、調べることができる限り、調べ尽くしました。
調べてみてわかったことは、
一般的に一度見えた心拍は、週数が増えるとともに見えやすくなるようで、それが見えなくなってしまったということは、ほとんどの確率で診断結果には間違いないということ。
そしてその理由は、染色体の異常により発生するもので、
外的要因でもなく、夫婦の問題でもない、自然淘汰のようなもの、、、ということがわかりました。
また、あーさんもお医者さんからは、妊娠初期によくあることだから。
と説明されたようです。
正直、調べれば調べるほど、全然納得がいきませんでした。
誰のせいでもない、しょうがないこと。
そんな風に書いてあるけど、なら仕方がないね。
とは絶対になれませんでした。
なので、その後もずっと調べていると
中には、エコー検査では見る角度などによって、心拍が見え辛く、もう一度検査したら心拍が見えた。
という内容もあったので、
2日後の手術の前に、もう一度エコー検査をしてもらうように病院へ電話をしました。
手術までの2日間、2人ともふとした瞬間に、悲しみが押し寄せてきて、泣いてばかりだったような気がします。
そして7月16日、手術当日
会社にお休みをもらい、あーさんと病院へ。
この時も私は院内へ入ることは叶いませんでしたので、駐車場であーさんを見送り、一度自宅へ戻り家事をした後に、病院近くの喫茶店で待機。
手術の前に見てもらうエコー検査での奇跡を願っていましたが、
あーさんからLINEがはいり、お医者さんからもう一度エコーで見ましたが、間違いないでしょう。
という結果。
あーさんには二回もつらいエコー結果を見させてしまったことを謝るとともに、手術頑張ってと返信しました。
返信した後は、喫茶店で泣かないように必死でした(苦笑)
周りから見たらやばいやつですからね(笑)
そしてお昼過ぎ、手術が終わったあーさんを迎えにいき、帰宅しました。
その後の日々は、あーさんの体調の回復を最優先にして過ごし、
7月21日

注文していた仏花が届いたので
自宅に心拍が確認できた頃のエコー写真と、届いた仏花で、手元供養とさせてもらいました。
これでいつでも身近に感じることができますね♪
今回冒頭でも書いたように、自分の気持ちを残しておく、整理するということで書きましたが、
ブログに残すことで、我が家の第一子は少しの間でもちゃんとこの世界に居たんだよ。
ということを私たち夫婦の記憶だけではなく、事実として残したかったのかもしれません。
今はまだ2人とも完全に乗り越えた、という状態ではないけれど、
時間が少し経過して少しずつ前向きになれていますし、
テントぶっ壊れようが常に笑っている夫婦ですので、心配はしないでください(笑)
そしてこれからのこともまだわかりませんが、
また子供ができたとしても、できなくて夫婦だけで今後も過ごすとしても、
どちらでもあーさんとなら、とても幸せな人生を送ることができるのは間違いないので、
また2人で相談して決めようと思います^ ^
その証拠にほら!

こーんなものを注文しちゃったり!

こーんなものが届いちゃっているんですから(笑)
Posted by セトリ at 21:48
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